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2023年5月17日 (水)

思い出の無い小学校にある、見えない思い出

亡くなったおとーが小学校低学年まで住んでいた

新潟の町にはじめて行ってみました。



今は特に親族が住んでいる訳でもなく、

昔の家は、
住所表記が変わってしまって、

どこなんだか分からない状態でした。



それでも、

その場所の雰囲気を感じてみたいので

行ってみた訳です。



おとーが通っていたらしき、

小学校にも行ってみました。


 



少々古いですが、
立派な建物。

僕が東京で通っていた小学校よりも、
立派な感じがします。


 



特に閉鎖はされておらず、

校庭で遊んでいる親子もいました。



校舎にはもちろん入ることはできないですが、
ゆっくり周りを歩いてみました。




ここで育ったならば、

良い思い出も、嫌な思い出もある場所なのでしょうけども、

僕にとっては初めての場所で、

何も思い出はないです。








それでも、おとーはココに思い出を持っていたのでしょう。

家ではそんなに話さない人だったので、

小学校の話しなんて、
まったく聞いた覚えもないですけども。





誰もがそれぞれに、

幼少期の思い出があって、

それぞれに母校があったりするんですよね。
当たり前のことなのですが。





自分自信に思い出がない場所でも、

誰か、沢山の人にとっての
思い出の場所だったりします。



日本に限らずの話しですが、

他の国の人にも、

それぞれに母校があったり、

思い出の場所があったりします。




自分自身と同じように。



朝と夕方と、
靴を履き替えたであろう下駄箱。



思い出の無い場所でも、

誰かにとっての思い出の場所。




僕もそんなことばかり考えている訳ではないですが、

身近な人が過ごしていた場所ならば、

やっぱり考えてしまったりするんです。




どんなことを思いながら、

どんな生活をしていたんだろうと。



そして、どんな気持ちで、
新潟から東京や横浜へ引っ越ししたんだろうと。




複雑な家庭環境があって、

やむを得ず、引っ越ししたらしい。



子供がゆえに、

辛いこと多かったんだろうなぁ。とか思ったり。



田舎だからか、

1クラスの人数も少ないんでしょうね。



窓から見てみたら、

こういう教室が沢山ありました。





おとーは団塊の世代なので、

もっと沢山クラスメイトのいる教室だったでしょうけども、


今の少子化の時代では

こういう少人数クラスもかなり多いのでしょう。


 


 



クラスメイトが多いほうが、
多様性があって面白いとも思いますが、

今の時代でも子供たちが
小学校に通っていて、

日々の思い出を作っている場所です。

当たり前なんですけども。





僕には子供がいないので、

あまり分からないのです。




それでも、
今の時代の子供たちが、

また次の時代を作っていくと考えると、

大人は大人の振る舞いをして、

子供に見せていかないと、

ロクな時代にならないだろうなぁーと

考えてしまいます。




木の上に立って、
見みるのが「親」です。



この漢字はよく出来ているなぁーと

時々、思います。


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